Yogini愛の天然生活

かざらない、そのままの自分にぴったりフィットする言葉をつづります

続けること

 最近の私のテーマは『続けること』。

 

無理しなくてもできる小さなことを続けること。無理しないというのは背伸びしないということで、楽をすることとは違うと思ってる。続けていくと気がついたら後ろに道ができていて、それが『個性』や『らしさ』なんじゃないかと思う。

 

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例えば林檎の皮をクルクルと切れないように剥いていく時。ある程度慣れた人ならゆっくりと丁寧に剥いていけば最後まで切れないように剥くことができる。けど、できるだけ皮を薄く0.1ミリに剥くぞーっと気合いをいれると途中で切れてしまうかも知れない。かと言って薄く剥くことを全く意識しないと、皮の厚みのせいでかえってプツンと切れやすくなるかも知れない。ちょうど良い厚みを意識しながら最後までつながりを持って剥けるようにバランスをとる剥き方が、無理をしない在り方と似ている気がする。

 

 

小学生の頃姉と二人でピアノを習っていた。始めたのは私の方が少し先だったけど歳上の姉の方が早く上達した。姉は基本に忠実で練習を真面目にコツコツと積み重ねるタイプだ。それに対して私は練習が大嫌いで、いつもレッスンの直前の30分程度で焦りながらおさらいをしていくタイプだった。当然どんどん差が開いていく。最初の頃はそれでもよかったけれど、課題曲が難しくなればなるほど誤魔化しが効かなくなり、ちゃんと練習する癖をつけなかったことをよく後悔した。

 

 

けど、今だから思う。じゃあ、私が基礎練習をコツコツと積み重ねることができたか?答えはNoだ。優しかった先生は『早くお姉ちゃんに追いつきたいでしょう』と言って完成していない課題曲に花マルをつけてくれたけど、いつまでも先に進むことができなかったらそれでも続けられたか?それもNoだと思う。あれがその時自分にできる精一杯だったんだろうなぁと。

 

 

続けること。

 

そのためには無理しないこと。別の何かになろうとしないこと。出来ることと出来ないことの境目は自分自身がよくわかってるし、今は出来ないこともいずれ時季がくれば出来るようになることもある。

 

そのためにはやめないこと。やめないでいると続けることが出来る。結果を期待しすぎたり急ぎすぎたりすると、やめないでいることが失敗のように思えてしまうことがあるけど、ゆっくりと待つことでしか見ることのできない世界がある。

 

そのためには見ているビジョンが自分だけではなく他の全てのものも幸せであれる世界をつくるものであること。そうすればこの世界が私の味方になってくれる気がする。

 

 

最後にもう一つ大切なことがある。

 

やめることを恐れないこと。やめることは失敗や後退ではない。古いものを手放すことによってできた余白には新しい何かが生まれ育つ可能性があり、その種を蒔くことになる。物事には必ず両面があり、続けることの裏にはやめることがある。どちらにすると決める必要もないのかも知れない。

 

 

 

それでも最近の私は、『続けること』を大切にしている。

 

無理しなくてもできる小さなことを続けていって、その時々で一緒に歩いてくれている人たちと笑顔でおしゃべりしながら、時々はひと息ついて後ろにできた道を振り返ったりする。まわりに広がる景色も、遥か彼方に見える目的地も、足元の小さな花も、目に映るもの全てが美しい。目を閉じると感じられる風の流れも、太陽の光も、聞こえてくる音も、足裏に触れる大地も、感じるもの全てが愛おしい。

 

肩の力を抜いてゆっくりと、無理なく私に出来ることを続けようと思う。