Yogini愛の天然生活

かざらない、そのままの自分にぴったりフィットする言葉をつづります

歩くヨガ

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曇り空は、心に静けさをもたらしてくれる。

こんな日に、あの人と、あの人と、あの人と、、、、皆んなで歩けることの幸せ。

 

今日は、『朝のウォーキングメディテーションwith杉山佳苗珈琲』の日でした。

私たちを含めて11名。

最初に皆んなで軽く自己紹介をして、ウォーキングメディテーションへの想いや、意識を向けてもらいたいことのお話。

 

その後、芝生の上で輪になって身体をほぐしリラックスの呼吸をしてから、手をつないで皆んなのエネルギーを感じる。

みんなで歩いていることを意識しつつも、おしゃべりせずに一人の静かな内側を感じながらのスタート。

京都御苑内をグルッと一周、1時間ほど歩いた。

 

芝生、砂利道、緑の葉っぱ、雨に濡れた落ち葉、乾いた松葉、湿った土、ふわふわの腐葉土、木の根っこ、空、鳥のさえずり、人の話し声、犬、警備の車、自転車に乗った野球少年、雨粒、冷たい空気。

 

頭の中のおしゃべり、忙しい思考、視覚の楽しみ、○○できないという意識、自分のクセに気づいて修正しようとする気持ち、普段の慌ただしい暮らしとの対比、寒さや冷えの感覚、不安や恐怖があることへの気づき、焦り、皆んなに守られている安心感、リラックス、思考と五感を行ったりきたりする自分への気づき、自分の中の純粋に楽しいという感覚、受け取る感覚に対する好き嫌い、方向付けようとする意識、思考が薄れ静かになる内側、全てありのままで満たされること。

11人いれば、11通りの感じ方や気づきがある。

無意識に感じていることも、表層意識に浮かび上がることも、言葉に出してみんなに伝える感想も様々で、色とりどり。

違いをお互いに伝え合い受け取る、豊かな時間。

佳苗さんが心を込めていれてくれた珈琲を味わう。

この上ない贅沢のように思えた。

 

 

 

みんなが解散した後にお話した、もう一つの感想。


京都御苑は広い。

歩き始めに砂利道の突きあたりを見たとき、それはとても遠くに感じた。

もしあれがゴールだったら、たどり着けるのかな?と一瞬思ってしまいそうなくらい、日常ではあまり目にすることのない距離感。
その時、その風景と私のいつもの思考の癖がリンクした。

 

遠い目的地。

高い目標。

大きな夢。

 

それらを目前にした時、私は無意識に「無理」と思ったり、「どうやったら早くいけるんだろう?」と考えてないだろうか。

 

砂利道の突きあたりまで行くには、「もっと大股で歩かないといけない」とか、「自転車や車で行ったら早いんじゃないか」とか、「遠いから諦めよう」とか、考えていないだろうか。

 

でも私はどこかで知っている。

それを見ている自分は、そこに到達することができることを。

それなのにいつの間にか自分には力がないと思い込んでいる。

あるいは教育によってそう思い込まされているのかも知れない。

 

私は、砂利の感覚を楽しんだ。

ザクッ、ザクッ、ザクッという心地よい足裏への刺激。

脇道にそれ、柔らかな腐葉土松ぼっくりの道を歩いた。

肌に心地よい空気を感じた。

空を見上げた。

隣を歩く人の息づかいを感じた。

視界の隅に別の人の姿をとらえた。

後ろの人の足音を聞いた。

みんながそこにいた。

内側から温まるのを心地よく味わう。

段々と意識が柔らかく広がってゆく。

自然の美しさ。

内側の風景の美しさ。

 

ふと気づくと私はその突きあたりも通り過ぎてただ歩いていた。

 

周りの人はそのことに気づいているんだろうか。

私が掲げた遠い目的地、高い目標、大きな夢について。

 

いいえ、きっと気づいていない。

相変わらずのマイペースでただただ歩いていると、人は見ているに違いない。

あるいはそんなことも気にせず、その人もただただ、歩いている。

一人一人の人生の交わりはそんなものだ。

皆んながそれぞれの創り出した世界を生きている。

 

それを、急かしたり、ゆっくり歩こうと引き戻したり、同じ感じ方をすることを求めたり、同じ目標に向かうことを強いることなく、お互いに尊重して生きることができるだろうか。