問いと答え
4年程前から、文化人類趣味者の伊藤武先生に、ヨーガの歴史や哲学を教わっている。今日は、ハタヨーガの三大教典シヴァサンヒターの12回講座の最終日だった。五月からは、サンスクリット語講座と、マルマヨーガ講師指導者講座がはじまる。伊藤先生からはずっと学び続けたいと思っている。伊藤武先生のプロフィールはWikipediaにも載っているのでご参考に(伊藤武)。
私が伊藤先生からもっと学びたいと思う瞬間は、質問に対する明確な答えをもらえない時だ。言葉だけ取り上げて見てみると、問いに対する答えは沢山あると思う。少しの矛盾や不正確さに目を瞑ったり、あるいは可能性を切り捨てたりして、わかりやすい言葉で答えを差し出すことは簡単だ。けれども、伊藤先生はそれをあえてしない。
最初の頃はなんだかはぐらかされたような、肩すかしをされたような、変な気分になった。段々とその意味が理解できるようになってきた。あえて答えを言わないのは、深い愛と思いやりがあるからだ。頭だけでわかった気になることよりも、自分で考えたり、体験したりしながら、自分なりの答えへ続く道を歩き出す背中を見守ってくれているからだと思う。
今日は、マルマヨーガの太陽礼拝について、ある質問をしてみた。同席した友人は、もっと色々聞きたいことがあるだろうと私に質問することを促してくれた。伊藤先生の前では、私はそんな時、したい質問をせずに他の人と会話している先生の言葉をゆっくりと眺める時間を楽しむ。
【わからない】→【質問する】→【答えをもらう】→【言葉や思考だけでわかった気になる】→【終わり】と直線的に進むよりも、
【わからない】→【外側に答えを求める心を内向きに戻す】→【わからない】→【外側に答えを求める心を内向きに戻す】→【終わらない・続く】という循環の中で、ゆっくりと新しい知識を吸収していく方が、自分の内側に豊かな世界が広がってゆく気がするからだ。
伊藤先生がヨーガに興味を持ったきっかけの話を思い出した。西洋の思想にもとづいた教育が当たり前だった時代に、ヨーガを通して触れた東洋の思想に対して感じた、新鮮な驚きと感動。それが、今も伊藤先生を動かしている原動力になっているんだと思う。だからこそ、インド古来の身体観にもとづいて構築されたハタヨーガの、そのままの姿を大切に伝えてくださっているんだろう。
伊藤 武
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Yogini Ai
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