収束と終熄
『収束と終熄』
〜マルマヨーガの話〜 vol.2 2020年5月1日
先月、楽しみにしていた伊藤先生のマルマヨーガとサンスクリットの講座の延期を決めた。その件でやり取りしていた時、伊藤先生からのメールに書かれていた言葉が、私の心をとらえた。
「終熄」
もちろんこれは、新型コロナウィルスを取り巻く状況について書かれた言葉だ。注目したのは、伊藤先生があえて収束ではなく、終熄という言葉を選んだことだ。ぼんやりとわかったつもりになっていた言葉の違いを、この機会にと思い調べてみた。
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「収束」
分裂・混乱していたものが、まとまって収まりがつくこと。また、収まりをつけること。
「事態の収束を図る」「争議が収束する」
「終息・終熄」
物事が終わって、やむこと。
「蔓延(まんえん)していた悪疫が―する」
〜以上、デジタル大辞泉より〜
「収束」は、新型コロナウィルスによる混乱状態がひと通り落ち着く段階を表し、対する「終息・終熄」は、ワクチンや治療薬が開発され新型コロナウィルスを封じたと言える段階を表すと思う。
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「新型コロナウィルスを封じこめる」という発想自体に異論がある人もいると思うけれど、ここではその議論はさておき、この言葉を選んだ先生の心を思うと私はそこにどうしようもなく「人」という存在への愛を感じるのだ。
講座を予定通り開催するか否かを決める話をしているのだから、とりあえず「収束」すればまた皆で集まることができる。私は当然そう発想して「収束」という言葉を使った。難解なサンスクリット語を繊細に扱い、深い思索を重ねながら翻訳する先生なんだから、「収束」と「終息・終熄」の意味の違いを意識しない訳がない。先生は「終熄」を選んだ。
とりあえず講座ができるかどうかの話をしているんじゃない。きっと先生は、新型コロナウィルスによって傷ついた人やなくなった命、二度と戻らないくらいに姿形を変えてしまった様々なものを想ってその言葉を使ったんだと思う。
もちろん、世界が止まっている間に地球はどんどん健康な姿を取りもどしつつあるという話も聞く。だからと言って、人の哀しみがなくなってしまった訳ではない。伊藤先生はそういう人だ。そういう目線でヨーガを取り巻く歴史を俯瞰してきた。私はそんな伊藤先生が愛する、ヨーガの終着点「ハタ・ヨーガ」に魅了されてしまった。全てが集約されたのが「マルマヨーガ」だ。
ヨーガの教典「ヨーガ・スートラ」を紹介する時、いつも先生が使う言葉がある。
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喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。
それが人。
それを描きだすキャンバスは心。
人は心とともに在る。
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心に沁みこむようだ。
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Yogini Ai
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Yogini Ai
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