Yogini愛の天然生活

かざらない、そのままの自分にぴったりフィットする言葉をつづります

イマジネーション

『イマジネーション』

〜マルマヨーガの話〜 vol.7 2020年5月8日

 

 今、笛の音を聴きながら書いてる。 笛の音は、私のイマジネーションを目覚めさせてくれる。 昔こんな出来事があった。 私が横笛Bansuriについて語る時にいつもする話だ。

 

 20代前半の頃、インドを旅した。 最も長く滞在したのは、リシケシ / Rishikesh という街。 ヒンドゥーの聖地として有名な街だ。 毎日境目のないような連続した時間を過ごしていた。 街に布と毛糸を買いに行く。 日向ぼっこしながら、バッグを作ったり、編み物をしたり、刺繍をしていると、あっという間に一日は過ぎる。

 

 ある日、まだご飯を食べてなかったなぁなんて思いながら散歩に出て、ガンジス河の対岸の、埃っぽくて細い通りを歩いていると、笛の音が聴こえてきた。 道端に物乞いのおじさんをみつける。 おじさんは目が見えない。 汚れたシートを敷いて、小銭を入れる空き缶をシートの端において、笛を吹いている。 私は何気なくその音を聴いているけど、気づくと吸い寄せられるようにして、その前で私の脚は動かなくなってしまっている。

 

 おじさんの笛の音は、イマジネーションをかきたてる前にすでに、私の頭上にヴィジョンを示していた。 神話のような世界がそこに広がっていて、細かくはわからないけど私は、それが世界の始まりの頃の様子だと感じている。 そのヴィジョンを見て感じたというよりは、見えないキャプションがついていて、「これは世界の始まりです」と書いているような感覚だった。

 

 それほど鮮明にヴィジョンを見たのは初めてだった。 それ以前に、(まだ書いていなかったけど)私はその音楽に、感動していた。 音楽を聴いて心を動かされたのはそれが初めての経験だった。 本当に不思議だ。 その前から脚が一歩も動かない。 もっと聴いていたい、そう思う。 それから毎日、ガンジス河の対岸を、おじさんを探して歩いた。

 

 『イマジネーション 』

 私は自分の頭で考えてイメージを膨らませたわけではなかったけど、その音楽は、私のイマジネーションを目覚めさせ、ヴィジョンをくっきりと立ち上げてくれた。なぜだろう?もしかするとそれはそのおじさんがイメージしているものが音を通して伝わってきたのかな、と思ったりする。

 

 さて、ここからがようやくマルマヨーガの話。『マインドフルネス』や『ヴィパッサナー瞑想』という言葉をご存知の方がいると思う。 マルマヨーガで行なっていることは、それとは真逆。 イメージするヨーガだ。観想ともいう。

 

 『プラーナ』というコンセプトは、イマジネーション(創造力)によって成り立つ。 目に見えないものだからだ。『プラーナ』を体に溜め、コントロールし、最終的には止めていく。 それによって、心のさざ波のような働きが止まる。 そのために、ハタ・ヨーガをする。

 

 難しいことを抜きにして考えてみても、私たちが見ている世界は全て、自分の心でイメージして創り出した世界だ。目に映るもの、耳に入ってくるもの、鼻でかぐにおい、口にいれて味わうもの、肌に触れる感覚。全て同じ条件でも、人によってそこから受け取るものは違う。見る世界は違う。

 

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 マルマ・ヨーガでいつもいう言葉がある。「この世界はいつも私たちに同じものを見せてくれている。けれどもそれを受け取る人の心の数だけ、いくつもの異なる世界ができあがる。この『目・鼻・口・耳・皮膚』を通して、目の前にどんな世界を見るのか?自分はどんな世界に生きたいのか?それは、私たちの心が決める。イマジネーションを育てることによって、自分の見たい世界を創り出していくことができる。

 

 頭で考えることなく、そのための大切な『五感』『感覚器官』を浄化し、イマジネーションを育て、心に直接働きかける。そういうことをするのが、マルマ・ヨーガなのです。

 

 

 

 

 
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  Yogini Ai
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