マルマを見つめる目
マルマを見つめる目
〜マルマヨーガの話〜 vol.9 2020年5月11日
心臓のマルマの前で、手を合わせる。意識は、心臓の空間へと入っていく。そこには、宇宙のような広大なスペースがある。太陽の光が、無限に降りそそいでいる。
始まりに唱える『ガーヤトリー・マントラ』太陽神 サヴィトリ への讃歌だ。『リグ・ヴェーダ』の3巻、62章、第10詩節に記されている『ガーヤトリー・マントラ』は、最も古いマントラであり、全ヴェーダの母と称えられる。
サンスクリット語のマントラから汲み取られた意味、単語の持つイメージを一つ一つ解説されているのを読みながら、その言葉のイメージを自分の内側に広げるように確かめていく時間が心地良い。何度も繰り返し読み、考え、いつも唱えるマントラ。
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om bhūr bhuvaḥ svaḥ
tát savitúr váreṇyaṃ
bhárgo devásya dhīmahi
dhíyo yó naḥ prachodayāt
まずは、伊藤先生による直訳。
tát savitúr váreṇyaṃ
bhárgo devásya dhīmahi
dhíyo yó naḥ prachodayāt
まずは、伊藤先生による直訳。
『OM 地界・空界・天界
太陽の光 無上の光 神の光を
我ら享受したし(念いたし / おもいたし)
その光は 我が詩想を 励ましたまえ』
次に、伊藤先生が尊敬する辻直四郎先生による訳。
次に、伊藤先生が尊敬する辻直四郎先生による訳。
『オーン、地界・空界・天界 [を渉る(わたる)神] に
われら願わくは、サヴィトリ神の
愛でたき光明を享受せんことを
その彼はわが詩想を鼓舞せんことを』
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「bhárgo」バルゴーは、「光」という意味。このマントラの中で主役となる語が、この「bhárgo」バルゴー=光だ。太陽の光、至高の光、神の光。それを、心臓の空間に満たしていく。そして、その光への感謝と祈りを捧げる。
古くから心臓内に光をイメージする瞑想法があるそうだ。古いインドの話。こんなウンチクはさておいても、心臓の場所を感じてみたり、胸の前に手を重ねておいてみたり、たえずやってくる感情「喜・怒・哀・楽」の多くをこの場所で感じていることを思うと、そこに注目することに納得いかない人はいないのではないかと思う。
『ガーヤトリー・マントラ』から展開される、光のプラーナで満たされたマルマ・ヨーガの世界に身をおきながら、一つ一つのマルマに意識をおいていく。すべてはゆっくりと、充分な時間をとって、心と体をマルマのポイントに重ねていくように、進んでいく。もし慌ててしまうと、心と体が交差しないままに形だけをなぞっていくような時間になってしまう気がする。
現代人に必要なこと。世界のスピードの速さに翻弄されて分離してしまった心と体を一致させていくこと。それが『私』の中で起こっている時、安心してここに存在し、外側の世界に愛や調和を見る。
ゆっくりと、丁寧に、マルマを見つめる目。そうやって過ごす時間は、目の前に広がる世界と私とを、つないでくれる。