足裏の心臓 / タラフリダヤ
ヨーガの古典を復元する意味
『ヨーガの古典を復元する意味』
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慈悲喜捨の祈り
慈悲喜捨の祈り
〜マルマヨーガの話〜 vol.4 2020年5月3日
マルマヨーガとは直接関係ないんだけれど、私が毎朝のマルマヨーガの後に決まってするお祈りがある。それは、慈・悲・喜・捨の祈り。慈・悲・喜・捨は、お釈迦様によって説かれた、四無量心と呼ばれる、人が育てるべき四つの心。
慈 無量心・・・慈しみの心。すべての人への親しみや情愛の心。
悲 無量心・・・憐れみの心。人の哀しみや苦しみに寄り添う心。
喜 無量心・・・ともに喜ぶ心。人の成功や幸せをともに喜ぶ心。
捨 無量心・・・平静な心。どんな出来事や感情にも執着せず動じない心。
ヨーガをして、整えた心や体を何のために、どのように使っていくのか。そのことについて毎朝の慈悲喜捨の祈りで、自分自身の想いを確かめています。
全ての人に親しみと愛情をもって接することができますように。
哀しんでいる人や苦しんでいる人の心に寄り添うことができますように。
人の成功や幸せを心から祝福することができますように。
世の中の悪や自分に対する嫌悪をはじめとする様々な情動にとらわれることなく平静で入られますように。
プラーナを溜める壺=カンダ
プラーナを溜める壺=カンダ
収束と終熄
『収束と終熄』
Yogini Ai
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さぁ、マルマヨーガの話を始めよう。
『さぁ、マルマヨーガの話を始めよう。』
〜マルマヨーガの話〜 vol.1 2020年5月1日
まずはじめに、この世にマルマヨーガを送りだしてくださった伊藤武先生に感謝を捧げたい。伊藤先生と初めて会ってお話させていただいた時、私はそれまでヨーガに関して抱いていた全ての疑問が伊藤先生によって解き明かされるのだとわかった。伊藤先生の言葉、さらに言葉を超えてその存在の奥には、深遠なる世界が広がっていた。私は、深い安堵を感じていたように思う。
伊藤先生と私たちをつないでくれたのは、ともちゃんとひーちゃんだ。このお二人にも同じく感謝を捧げたい。四人でワイングラスをかたむけながら話した。その時私は、内心カチカチに緊張しながら、伊藤先生の口から出てくる難解な言葉の数々に恐れをなしながら、同時に好奇心がムクムクと湧き起こるのを感じながらその場にいた。気の利いた相槌は出てこない。伊藤先生は、今思えば少しだけよそ行きの顔で、沢山の神様の話を聞かせてくれた。まるで神様が友達であるかのように「あいつはね〜、、、」と、親しみをこめて語った。
あれから5年以上たった。今はともに学ぶたくさんの仲間がいる。私は拙いながらも、伊藤先生から学んだヨーガの全てが詰まったマルマヨーガを伝えている。正直言って、マルマヨーガの知名度は低い。マルマヨーガという名前そのものは、伊藤先生の造語だ。だけど私の造語である『言葉のヨガ』を通して、自分と世界を力強く結びつける体験をしている人がいるように、マルマヨーガが造語であってもそこに凝縮されているものは、連綿と受け継がれてきた限りなく純粋なハタ・ヨーガだ。
これから私は、毎朝のオンラインでのマルマヨーガのクラスを通じて、このブログを通じて、学んだことを出し尽くしていきたい。感謝とともに、全てを出し尽くしていきたい。エゴで本質をわかりにくくさせることなく、読む人の真我に届く言葉を綴っていきたい。
ヨーガと出会わなければ今の私はなかった。私とヨーガのつながりを目に見える形にしてくださったのは伊藤先生だ。最後にもう一度伊藤先生に感謝を捧げます。
さぁ、マルマヨーガの話を始めよう。
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Yogini Ai
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チャレンジ!自分で価値を決める
けれどもこうして、毎朝のマルマヨーガをして皆さんとつながり同じ時間を過ごすことは私のココロとカラダの健康を力強く助けてくれています。 だから、朝のマルマヨーガをしてそこに参加してくださる方がいることは、私にとって大きな価値なんです。私も価値を受け取っています。
これはスタジオのクラスであるのと同時に私の個人的な取り組みでもあるので、必ずしもお金をいただかなくても大丈夫だと思っています。朝のマルマヨーガに参加するしないにかかわらず、これを読んでくださっている方は、このことについて考えるきっかけとしてもらえたら嬉しいです。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
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Yogini Ai
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