Yogini愛の天然生活

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ヨーガの古典を復元する意味

『ヨーガの古典を復元する意味』

〜マルマヨーガの話〜 vol.5  2020年5月5日
 
 約2年前、私はマルマヨーガの連続講座開催にチャレンジした。伊藤先生から教わったことに出来るだけ忠実に、私が自分の言葉で語れることを伝えようと意識していた。
 
 ある時、その講座中に突然私の目から涙が出てきた。ただヨーガの歴史について話していただけなのに。涙もろくないし、人前ではほとんど泣くことのない私なのに、止められないくらいの不思議な涙だった。自分でも驚いた。なんで…..!?そう思いつつも、理由は予想がついていた。
 
『ナーランダ大学』の話をしたからだ。
 
 古代から中世にかけて栄えた『ナーランダ大学』は『ナーランダ僧院』とも呼ばれる。広大な、大学と僧院の複合施設だ。ナーランダ大学には、9階建ての校舎、6つの寺院、7つの僧院があり、図書館には 500万冊もの蔵書があった。5世紀頃に設立され、ここから大乗仏教チベット仏教の流れも生まれ、8世紀以降は密教の教えを学ぶ中心の場所としても存在していたそうだ。
 

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 ナーランダ大学(ナーランダだいがく、Nalanda University、 ナーランダー大学)は、インドビハール州、ナーランダ(नालंदा、Nālandā)中部にある427年に建てられた世界最古の大学の1つ。北部インド仏教の最重要拠点であり、後期以降はヴィクラマシーラ大学(Vikramaśīla University)等と共に、インド仏教が終幕を迎えるまでそれを支えた。ナーランダ僧院(ナーランダー僧院)、ナーランダ大僧院(ナーランダー大僧院)、那爛陀寺とも。
 
 「ナランダ」は " 蓮のある場所 " という意味。蓮は知恵の象徴であるため、“知恵を与える場所、知恵を授ける場所”と解釈される。(ナラン=蓮、ダ=与える) また玄奘三蔵は『大唐西域記』で " 施無厭(せむおん) "という意味にとっている。この場合は“惜しみなく与える処、倦まず授け続ける場所”という解釈になる。(ナ=ない、否定、アラン=十分、ダ=与える)
 
〜以上 Wikipediaより 〜
 
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 12世紀、ナーランダ大学はイスラム勢力のインド征服によって破壊された。図書館は焼かれ、古くから受け継がれてきた叡智がそこで途絶えてしまった。
 
 伊藤先生はよくその話をする。伊藤先生は学者さんでもあるから、そこで無数の貴重な文献が焼失してしまったことがどれほど残念だろうと思う。ちょうど2年前のGW、インドヒマラヤヨーガの旅をした時にも、インド人のガイドの方がその話をしていた。9階建ての建物を燃やし尽くしたその日は、数日間止むことがなかったそうだ。私はあまり英語が得意ではないけれど、その口調から彼の哀しみが伝わってくるように思えた。
 
 伊藤先生は20代の頃に、ヨーガの歴史を辿りながら、おそらくそれ以前の古いハタ・ヨーガの痕跡を探しながら、インドの各地を旅した。ヨーガの文献以外のところに残された古いハタ・ヨーガ。現地の人の風習・食文化・子どもたちの遊び・武術カラリパヤット
 
 現代に不完全な形を残したヨーガの歴史を伊藤先生は、まるでピースが足りないジクソーパズルから完成図をイメージするかのように復元しようとする。おそらく、足りないピースの部分が古典的なハタ・ヨーガであり、見えないそれに名前をつけたものがマルマ・ヨーガだ。
 
 ヨーガの古典を復元する意味。それは、ヨーガを伝えてくれた先人への敬意であり、遥か昔に思いをはせる浪漫であり、内なる智慧を信頼し常に学び探求し続ける伊藤先生が私たちに教えてくれる、ヨーガの本質だ。私はそう思う。
 
 
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 今日の京都の空。古き良きものを残しながら少しでも受け取りやすい形を目指してマルマヨーガを探求する毎日。
 
 
 
 
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  Yogini Ai
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